「わかってる」その認識がそもそも違う

「わかっている」という当事者
当事者マウンティングとでもいうのでしょうか?
「◯◯の経験も無い人には、経験者の自分の気持ちはわからない」
「◯◯してもいないのに私の気持ちなんてわからないでしょ」
とか言って対話を一方的に遮断する人

例えば
・既婚子供無し看護士経験20年を超えるベテラン看護士に
「子どもがいない人に親の気持ちはわからない」とか
・独身教職20年以上の教師に
「子どもがいない人に子どもの気持ちも親の気持ちもわからない」
とか言う人。
こう言われてしまうと
相手がなぜそのような意見を持っているのかといった、相手を知るための努力は不要になっちゃう。
でも、でもである。
子供無しでも、以前は子供だったんだよね。わかるよね。


当事者としての経験は重要で、その声は聴かれるべきなのは当然。けれども、自分が当事者であるからと言って、自分が所属する属性を代表できるわけではないと思う。
それはどう頑張っても数ある中の1つの声でしかないから。
そして、同じカテゴリーを細かく細分化すれば、その中でまた同じ当事者マウンティングが起こるでしょう。
「当事者」という言葉が広く使われるようになる中で、どんな人々の声にも価値があり、それには耳を傾けねばならないという機運が社会の中で広がっていますね。
だからこそ当事者としての経験は、封じられた声を社会に開放し、ゆるやかな連帯を作るために使われるべきだと思うんです。

  どんなカテゴリーの中にも多様性はあり、自分も他者も日々変わりつづけることを踏まえると、「わかっている」という感覚ほど危ういものはないのだから。


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